衷心感恩與 師父的佛因佛緣! 師父との佛縁に心から感恩!
大信 師父,依教奉行跳脫命運定調軌道。師父を大信、依教奉行し、運命の軌道から解脱
(台北)志賀美智代
2025-07-30
我叫志賀美智代
2016年9月在台灣基隆共心會所入門。
當時我在工作上,正與公司老闆之間關係不佳,過著充滿壓力的日子。為了轉換心情,我決定趁暑期去台灣渡假,但我沒有想到會在我到達台灣的那一天入門,接引我的是一位台灣朋友。
在我停留於台灣有限的時間裡,師姐盡可能的把禪行分享給我。真正的自己是靈性,靈性的壽命遙長近乎永恆;當人的生命結束後,靈性必須從這個身體中出來,要去那個法界?取決於業力的多寡,業力越多到下面法界;業力越少到上面法界。我們現在看得見的物質界,同樣有存在於看不見的法界,那個法界有十法界、從最下面的法界是三惡道(地獄、餓鬼、畜生),再上來是三善道(阿修羅、人間、天界),再上來是三聖界(阿羅漢、辟之佛、菩薩),最上面的法界是第一法界(靈性佛)。師姐用筆記本寫著,讓我可明白的了解。即使沒有成就佛道, 師父也會慈悲的將金剛弟子帶到菩薩界。
我們擁有三位一體(人身、靈性、佛性)、明白人身難得;如釋迦摩尼佛在印度恆河抓起了一把沙,留在指甲縫裏的沙,這是可成為人的機率,非常的難得,而失人身如地上泥的多;然而,如果不是人的話就不能修行,動物也不能修行。我當時養了一隻小鳥,放在房間裏,禪定時也在旁,後來才知道不能和動物在同一個房間裡進行禪定。在那隻小鳥結束短暫的一生之前,也常常對牠說:「來世要做人,且找大成就明師;並在 師父身邊依教奉行。」我想來世牠如有佛緣一定能來到 師父身邊。
關於依教奉行, 師父的四個教導:第一、每天進行30分鐘的襌定;第二、理解佛理;第三、參加共心禪行教導會;第四、慈悲的分享利他。若有實踐 師父的教導,就會開悟!靈性位階提升,跳脫命運的軌道,一定會有體悟。首先,請給自己機會,3到6個月嘗試看看,我就有如下的體會:
回到日本之後,師姐的護持還是持續,關心問我每天都有襌定嗎?因頻繁的聯絡詢問「昨天襌定了幾分鐘?」雖然覺得被問得很煩,但也討厭自己不能好好的回答。師姐說:「在我們活著的時候,每一分每一秒都在造業,而能夠渡化這些業的只有 師父。」師姐她幽默地講述了與 師父佛心印心的重要性。
入門經過了三個月的時候,我有了體會。雖然和職場老闆的關係依然很差,但是要從身體中湧上心頭的憤怒感覺沒有了,胸口周圍變得輕鬆了。即使在工作上犯了錯誤也不會煩躁;相反的,能在早期發現錯誤的話,會對自己表示感謝等;切身感受到自己變成了有積極的思考。另外,如果不戴橡膠手套洗碗的話,手就會裂;但不知不覺的也不需要手套了。
入門經過半年多的時候,禪定每天都有在繼續。師姐對我說:「只要依教奉行,職場環境就會變好。」但是依然沒有改變。師姐還說:「 師父會引領妙轉適合你的工作。」但是我覺得換工作有困難,我放棄了讓工作環境變得更好的想法,心想就算有不喜歡的地方,只要忍耐住,還是能拿到工資的。儘管有這想法,但突然決定辭職,自己也很吃驚!現在回想起來,這就是我放棄執著的瞬間。我就像那艘即將沉没的船,肩負著沉重的業力,即使 師父告訴我放手,我却依然不肯放手;如果被拿走,也會跳入追逐業力的業海,那正是我。我害怕失去現在的工作,所以一直緊緊的抓住不放。我不知道把自己交付給 師父。
退職後,由於必須早點找到工作的焦慮,讓我的心變得不安定。那個時候,幹部師姐護持我,建議我去臺灣,我因為經濟原因拒絕了;但護持我的師姐也說:「在逆境的時候,更要去見 師父。」我的朋友淑芬師姐也建議我要去台灣,最終我勉強的決定去台灣。於是,我一直在煩惱的派遣工作很快就決定下來了。然後,雖然去了台灣,但是法會暫停了,沒能見到 師父。由於我已經籌備了旅費,所以我向我的幹部師姐發洩了我的不滿。幹部師姐問我「志賀師姐不想再見到 師父了嗎?」並說「 師父會送給志賀師姐一份大禮物哦!」雖然師姐這麼說,但我不知道那是什麼意思?
回到日本後,派遣工作所剩無幾,我感到必須再尋找下一份工作,就在這樣的不安之際,突然接到了一份工作邀約,是從我多年前工作的公司同一部門課長而來的邀約。自從離職已經過了8年,讓我十分驚訝;但當我去公司拜訪時,還有更讓我驚訝的事情發生了,原本上司的部長居然成了那家公司的社長;正如朋友淑芬師姐所說的那樣; 師父引領我去了這家公司。雖然對至今為止發生的所有事情半信半疑,但已經沒有懷疑 師父的餘地了,相信 師父的心也不會動搖;這就是幹部師姐說的,這是 師父送給我的禮物之一。
2019月4月16日,這一天是哥哥的生日,也是我因蜘蛛網膜下腔出血被急救送醫的日子。和同事在外面吃午餐時,突然的頭感受到了前所未有的劇烈疼痛、身體無法動彈,馬上被救護車送到了醫院;還有意識的時候醫生告訴我是「蜘蛛網膜下腔出血」。接到醫院第一個通知的是我哥哥,「如果發生蛛網膜下腔出血,三分之一的人會死亡、三分之一的人會變成植物人、三分之一的人會存活,這種疾病,請理解!」我哥哥在到達醫院的時候,我已經全身麻醉,醫生說手術是必須的,根本沒有不手術的選擇。然而,由於無法確定出血的部位,手術並未進行。當我醒來的時候是晚上,我在集中治療室,吊著點滴、戴著心電圖、血壓計、吸氧器等臥床不起的狀態。插管後,儘管不怎麼能說話,但我還是和深夜進行體溫檢查和點滴交換的護士分享了。雖然想不起來契機;但是好像說了禪定的話。護士對禪定很感興趣,但是因為臺灣很遠,所以被問到日本有沒有,傳達了在大阪有的。
我回想從入門後,被引領到現在的職場,每天都覺得很幸福;但另一方面,覺得是不孝的,內心深處曾想會比父母更早去世。第二天,在醒來後從福島來的父母的會面中,父親向我跑來,握著我的手哭泣。我也哭了起來,我知道父親有多少擔心,我就有多少被愛。後來聽母親說,在來東京的車裡,父親已做好了覺悟,照顧成為植物人的女兒;懺悔我是多麼不孝的女兒啊!
頭痛持續了好幾天,為了止痛一邊打著點滴,說到我能做的事,就只有是在枕邊聆聽佛曲;我結束了兩周的短暫住院。住院期間,我信賴的師姐鼓勵護持我說:「志賀師姐的 師父會一直在你身邊。」看我的腦外科醫生說像我這樣出血部位不明,不用動手術;且没有後遺症能出院的患者,在這家醫院一年沒有5個人,真的是很稀有的例子。這並不罕見,這只不過是得到 師父的妙轉而已;我明白了我是從命運的軌道上解脫出來了,這是 師父送給我的第二份禮物。
因果業力何時會引爆不知道,也許是今天,或者明天;人生真的很短暫。在業力面前,誰也無法抵抗,是無能為力的;本來應該自己背的業力、 師父背負了。儘管我是依教奉行不足的弟子, 師父卻將這麼沉重的惡業,讓我重業輕償。再次給了弟子一個機會依教奉行、也讓我有成就佛道機會。這樣的福報,即使我在過去世累積了再多的功德,也絕對無法獲得。
感恩 師父!讚歎 師父!
這份感恩的心情,我絕對不會忘記。
我的母親相信救她女兒一命的是 師父。過了80歲,雖然在今世沒能來到 師父的座下,但母親是最能注意到我改變的人,而在依教奉行中最理解我的人,是鼓舞我且一直全力護持我到現在的兩位師姐。很感恩她們!不然我一個人留不到現在,也不會開悟;對老師、師兄師姐表達深深的感恩!
師父是成就佛道的大成就明師!在過去世跟 師父的佛緣,今世得到了難得的人身,也得到了可以在 師父身邊依教奉行的機會。今生所為何來?我已理解其意義,發願要通過如來法則,成就佛道,利益眾生。我想幫助有佛緣的弟子來到 師父的身邊,不疏於自身的習性,每天持續調整,將禪行融入生活中,不停止地向前行!
感恩 師父!讚歎 師父!
感恩老師
感恩師兄師姐
美智代合十感恩懺悔
------
1. 師父との佛縁に心から感恩
2. 師父を大信、弟子は依教奉行し、運命の軌道から解脱
3. 今世の意義を知り、仏道成就を決意
私は志賀美智代と申します。
2016年9月に台湾の基隆共心会所で入門しました。
私は、当時働いていた会社の代表と折り合いが悪く、ストレスを抱える毎日を送っていました。気分転換に台湾で夏休みを過ごすことにしましたが、まさか台湾に着いたその日に入門するとは思いもしませんでした。導いてくれたのは台湾人の友人であります。
私が台湾に滞在する限られた時間の中で、師姐はできる限りの禅行を私に詰め込みました。本当の自分は霊性であり、霊性は永遠に近い寿命があること、人間界で命が尽きると、霊性はこの身体から出て行かなければならない、その行き先は業の多さによって決まること、業力が多いほど下の法界に、業力が少ないほど上の法界に行く、私たちは今、目に見える物質界にいて、同じく目には見えない法界が存在していること、その法界は十法界あり、まず下の法界から三惡道(地獄、餓鬼 、畜生)、続いて三善道(阿修羅、人間、天界)、三聖界(阿羅漢、辟支佛、菩薩)、最後に上の法界の第一法界(霊性佛)、があることを、師姐は目で見てわかるようにノートに書いてくれました。たとえ佛道成就が叶わなかったとしても、 師父の千手千眼である金剛弟子は、ご慈悲に菩薩界まで引き上げて下さいます。
私たちは三位一體(人身、靈性、佛性)を持っていることや、人身の得難さについて、釈迦牟尼仏がインドのガンジス川で一握りの砂を掴んで、爪の間に残った砂が人間に生まれる確率からどれほど貴重なことか、身体を持てない霊性は地面の泥のように多いことか、そして、人間でなければ修行が出来ないこと、動物は修行出来ないことも知りました。
私は当時小鳥を飼っていて、部屋に放したまま一緒に禅定をしていた事があり、後になって、動物と同じ部屋で禅定を行ってはいけないことを教わりました。その小鳥が短い一生を終える前に「来世は人間になって、大成就明師を探してね。 師父のもとで依教奉行するんだよ。」と、よくよくお話ししました。来世はこのご佛縁で必ず 師父のもとに来られると思います。
依教奉行、 師父の4つの教えについて、1つ目、毎日30分禅定を行うこと、2つ目、佛理を理解すること、3つ目、共心会に参加すること、4つ目、分かち合いをすること。 師父の教えを実践すれば、必ず体得があります。霊性の位置は高められ、運命の軌道が上がり、悟りを開くことが出来ます。まずは、自分自身に3ヶ月から6ヶ月試す機会を与えてみて下さい。私は次のような体得がありました。
日本に帰国してからも師姐の護持は続き、私が毎日禅定をしているか頻繁に連絡がありました。「昨日は何分座れた?」その問いを、煩わしく思う一方で、しっかりと答える事が出来ない自分が嫌でした。師姐は、私たちが生きている間、一分一秒業は出続けるもので、それを渡化出来るのは 師父だけだと、 師父と佛心印心することの大切さをユーモアを交えて話してくれました。
入門して3ヶ月が過ぎた頃、体得がありました。依然として職場の代表との関係は悪いままでしたが、身体の中に怒りが込み上げてくるところが無くなり、胸の辺りが空っぽになりました。仕事上でミスをしてもイライラする事はなく、逆に早い段階で間違いに気づけば、自分自身に感謝するなど、前向きな思考に変わっていることを実感しました。また、ゴム手袋をつけなければ手が荒れて、食器を洗う事もままならなかったのが、いつしか手袋が不要になっていました。
入門してから半年が過ぎた頃、禅定は毎日続けていました。師姐は「依教奉行していれば、職場の環境はよくなる」と私に言ってくれましたが、依然として変わらず、「あなたに合う仕事は 師父が導いてくれる」とも言われましたが、私は転職の難しさから、嫌な事があっても、自分さえ我慢していればお給料は貰えるんだからと、これ以上環境が良くなることはあきらめていました。それなのに、突然会社を辞める決断をし、自分でも驚きました。
今思えば、これが私の執着を手放した瞬間でした。今にも沈みそうな船に、重たい業を抱え、 師父が手放しなさいと諭しても離さず、取り上げれば追いかけ業の海へ飛び込んでしまう、まさにそれは私でした。今の職場を失うのが怖くてしがみついていたのです。 師父に委ねることを知りませんでした。
退職後は、早く仕事に就かなければならない焦りから、心が不安定になりました。そんな時、幹部の師姐から台湾行きを勧められ、私は経済的な理由からお断りしましたが、護持して下さる師姐からも、「逆境の時こそ、 師父にお会いした方がいい」と言われ、友人の師姐にも台湾行きを勧められ、渋々台湾行きを決めました。すると、あんなに悩んでいた派遣の仕事がすぐに決まりました。
そして、台湾には行ったものの、法会は中止になり、 師父にお会いすることは出来ませんでした。私は旅費を工面して来たこともあり、その不満を幹部の師姐にぶつけました。「志賀師姐はもう 師父にお会いしたくないですか」と、私に問いかけ、「 師父は志賀師姐に大きなプレゼントを下さいますよ」とおっしゃいましたが、私はその意味がわかりませんでした。
日本に帰国して、派遣の仕事も残り僅かとなり、また次の仕事を探さなければならない、そんな不安を感じていた矢先、突然仕事の誘いが来たのです。長年勤めていた会社で、同じ部署で働いていた課長からでした。会社を退職してから既に8年も経っていたので驚きましたが、いざ会社を訪ねると、更に驚く事がありました。元上司である部長がその会社の社長になっていたのです。友人の師姐が言っていた通りになりました。 師父が私をこの会社へと導いて下さいました。今まで起こる全ての事に半信半疑でしたが、もう 師父を疑う余地はなくなり、 師父を信じる気持ちが揺るぎないものになりました。これが幹部師姐のおっしゃっていたことでした。これが 師父から頂いたプレゼントのひとつ目です。
2019月4月16日、この日は兄の誕生日で、私がくも膜下出血で救急搬送された日です。同僚と外で昼食をとっている最中に、突然頭に今まで感じたことのない激しい痛みに襲われ、身動きが取れず、すぐに救急車で病院に運ばれました。意識があるうちに「くも膜下出血」だと医師から告げられました。
病院からの第一報を受けたのは兄でした。「くも膜下出血を発症すると、 3 分の 1 の方が亡くなり、3 分の 1 の方は植物人間になり、3 分の 1 の方が生存、そういう病気である事をご理解下さい」と説明を受け、兄が病院に到着した頃、私は全身麻酔の状態で、医師の話では手術ありきでむしろ手術しない選択肢はなかったそうです。ところが出血した箇所の特定が出来ず、手術は行われませんでした。
目が覚めると夜でした。私は集中治療室で、点滴や心電図、血圧計、酸素吸入器など付けて寝たきりの状態でした。挿管されていた後で、あまり話せない状態にもかかわらず、深夜、検温や点滴の交換などを行って頂いた看護婦さんに私は分かち合いをしていました。きっかけは思い出せませんが、座禅の話をしたようでした。看護婦さんは座禅に興味を持たれていましたが、台湾は遠いので日本にないかを聞かれ、大阪にある事を伝えました。
私は入門してから、今の職場に導かれ、日々幸せに思う反面、親不孝ではありますが、心の奥底に親より早く逝きたいという思いがありました。翌日、目が覚めて福島から来た両親の面会で、父は私に駆け寄り、私の手を握り泣いていました。私もつられて泣いてしまい、どれほど心配をかけたか、どれほど愛されていたかを思い知りました。後に母から聞いた話で、東京へ向かう車の中で、父は植物人間になった娘の介護を覚悟していたそうです。なんて親不孝な娘だろうと懺悔でした。
頭の痛みは何日も続き、痛みを止める為の点滴をしながら、私に出来る事といえば、枕元で佛曲を聴く事ぐらいでした。私は2週間という短い入院を終えて退院しました。入院中には、信頼を寄せる師姐より「志賀師姐にはいつでも 師父がいらっしゃいます」と護持頂きました。脳外科の担当医師からは、私のように出血箇所が不明で手術せずに元気に退院される患者さんは、この病院で年間に5人いるかいないかで、本当に稀なケースだとおっしゃっていました。それは稀ではなく、 師父に妙転頂いたことにほかなりません。私は運命の軌道から解脱したのだとわかりました。これが 師父から頂いたふたつ目のプレゼントです。
いつ業が爆発するかわかりません。今日、あるいは明日かもしれません。人生は本当に短いです。業の前には、誰も抗えません。無力です。本来自ら背負うべき業を、 師父が背負って下さいました。依教奉行が未熟な弟子にもかかわらず、 師父はこんなにも重い業を軽くして下さいました。弟子に続けて依教奉行する機会を、佛道成就する機会を再び与えてくださいました。これほどの福報は、私が過去世にどれほど得を積んだとしても到底得られることではありません。
感恩 師父!讚歎 師父!
この感恩の気持ちを決して忘れる事はありません。
私の母は娘の命を救って下さった 師父を信じています。80歳をとうに過ぎ、今世では 師父の門下に来る事はかないませんでしたが、私の変化に一番に気付き、依教奉行において1番の理解者で私を鼓舞する存在です。そして、ここまで全力で私を護持し続けてくれた師姐のお二人に心から感恩致します。ひとりではここまで残れず、悟りも開けませんでした。団結共心、先生、師兄師姐に深く感恩致します。
師父は佛道を成就された大成就明師です。過去世で 師父とのご佛縁があり、今世、得難いとされる人身を得て、 師父のもとで依教奉行出来る機会を得ました。今世は何の為にやって来たのか、その意義を理解しました。如来法則を通過し、佛道成就、衆生に利益することです。佛縁のある弟子が、 師父のもとへ来られるようにお手伝いをしていきたいです。自身の習性に負けず日々調整し続け、生活に禅行を溶け込ませながら行いを止める事なく進んで行きます。
感恩 師父!讚歎 師父!
感恩老師
感恩師兄師姐
美智代合十感恩懺悔
--
佛弟子以上心得分享見證為真誠屬實,若有不實,願自負責任!佛弟子願無條件提供佛教如來宗及同修弘法利益眾生使用。